MOUHITOTSU NO SHIKAKU SEKAI
SNS
fukcrechbk
何をみても何かを思い出す
表も裏もある。光も闇もある。
陽のあたる場所も影のあたる場所もある。
そこに上下はなく分け隔てもなく等しく在る。
私が撮ってきていることは「記録」に過ぎないし、「芸術作品」にもなり得る。
それはどちらでもいいし、どうでもいい。
面白いか面白く無いか、「熱量」がそこに在るか無いか、
「納得」したい時にしているか、する必要がない時に納得に囚われずにいるか。
寝ても覚めても写真で在る。仕事も写真、趣味も写真。
他人の写真全てに敬意を持って見るし、他人の写真すべてを参考画像として捉える。
全ては自分次第なのだ。
前にも後ろにも後にも先にも「自分」かどうかだけが重要なのだ。
誰が為に撮るのか、「被写体」か「自分」か
そこらへんの理屈を少しだけ頭の片隅に置いておけばいい。
それで「写真」にも「作品」にもなり得る。
オーバーグラウンドとアンダーグラウンドなんてテーブルに並んでいる料理の違い程度だ。
そのテーブルは平たい。
ファインダーを覗いて世界のスキマみたいな場所を撮る。
その積み重ねは、誰にもマネできない。
わたしもあなたのマネはできない。
2008年4月20日に、西小倉WOWで撮影したことが私の個性だ。
2009年4月17日に、福岡Beatstationで撮影したことが、
2016年1月11日に、KIETHFLACKで撮影したことが、
2017年2月19日に、六本松ハートストリングススタジオで撮影したことが、
2018年8月22日に、平尾台で撮影したことが私の個性だ。
人はいつか死ぬ。私もいずれ死ぬ。あなたもいずれ死ぬ。
そして、写真が残る。その写真もいずれ朽ちる。
何をみても何かを思い出すし、
何をみても何かを思い出していたい。
Instagramの写真を取得できませんでした。