何をみても何かを思い出す展 解説1

2020/1/21~2/3

警固公園と三越の間の通路「パークサイドギャラリー」にて個展を開催した。

2008-2019の12年間からごく一部を展示している。

ジャンル様々に展示していて一切キャプションをつけていない。

ここで補管する。


【WHO】百蚊

【WHAT】Hip Field

【WHEN】2010/4/10

【WHERE】public spcae四次元

今ほどカメラの機能に熟知していなかった時代に、スローシャッターを覚えたての頃の一枚。今よりも暗い暗い四次元の中での撮影ではストロボは不可欠だった。

トリの百蚊のころにはフロアはどこもかしこもカオスだった。

無我夢中で撮影していたらGtのごしまさんがギター抱えたままダイブしてきた。とっさによけたが小野君にぶつかって流血してた。

その時の一枚。のちに小野君のTシャツにもなった。自分の写真が初めてTシャツになった写真。




【WHO】STEP LIGHTLY

【WHAT】RADIO7 の周年イベント

【WHEN】2010/4/17

【WHERE】薬院BEAT STATION

この日のライブはどれもすごかった。本当はSTARTERの写真も展示したかったが間違いなく問題になるので自粛。ライトリーの写真の中でも、クニタケ(KARIBUxNOxKAIZOKU)がきれいにダイブしているこの写真が好きで展示した。

この当時も写真の撮り方も何もわかっていない中で一番大きな会場だったので無我夢中に撮ったのを覚えている。


【WHO】ADAMOSTE KINGS

【WHAT】

【WHEN】2008/5/18

【WHERE】KIETHFLACK

ネガが紛失したので、現存する最も古いアダキンの写真はこの日だと思う。

このバンドと出会う流れこそが私がライブフォトグラファーになる大きなきっかけのひとつだった。当時かれらの出演するライブを中心にキースを出入りしていた。技術も交友関係も皆無の中でスタートした。誰とも話すこともできず撮影だけして帰っていた。

当時のキースはとにかく暗く、今ほど高感度対応カメラでもなかったので否応なくISO1600くらいでの撮影だった。そのなかでクリップオンを使用するのは自然な流れだったし、たまたまバウンスする方法を発見してそれを駆使してなんとか撮っていたのを思い出す。

これは、おそらく自然光をベースに撮っている。ただ、顔をの明るさからきっとバウンスも使用しているのだろう。撮影位置は下手のスピーカーからだと思う。


【WHO】KOJIMAAMIZOK

【WHAT】総決起集会

【WHEN】2009/4/26

【WHERE】博多ベイサイドプレス

ライブフォトグラファーとしてキースやFUSEを出入りしている中、薬院のIAFとも出会った。きっかけは数年ぶりに参加したART COREというイベント。そこでコジマ犬(後のKOJIMAAMIZOK)さんと出会ったのがきっかけでIAFにも行くようになった。

そこでこの総決起集会というイベントの撮影をお願いされたので撮りに行った。

バンドのライブとは違う意味で刺激的だった。何より当時の私はまったく予測不能の展開に脳を刺激された。刺激はとても大事だ。

この写真は、イベントも終盤にさしかかるころの写真でKOJIMAAMIZOK氏が自分のペイントの上でおこなったパフォーマンス。

ピンポンがつまった人型模型をたたき割っていた。このころこの手法をよく見かけた。中身がお菓子だった時もあった。

ただただかっこよかった。

2019年の個展にこっそり見に来てくれた。数年ぶりの再会だった。



【WHO】健太郎・佳奈ちゃん

【WHAT】前撮り

【WHEN】2010/8/10

【WHERE】百道浜

はじめて撮影した前撮りの写真。カメラマンとしても未熟なうえに、前撮りという未知数な撮影だったので非常に大変だった記憶がある。

当時健太郎はADAMOSTE KINGSのベースをしていた。一緒に宮古島ライブも行った。

同い年というのもあって仲良くなった。そこでこの依頼が来た。

そもそもライブしか撮ったこともない私に前撮りなんか撮れるはずもなく、無い知恵絞って必死に考えた。いくつか撮影したが、この写真は最後に浮かんで実行した。

70-200mmで遠くから撮影した。ピン抜けが怖くて何枚も何枚も撮った。

被写体との距離はゆうに200メートルはこえてたので声は届くはずもなく大変だった。

冷や汗と真夏の汗が同時に出て視界はぼやけていた。本当にきつかったが、私らしい写真になった。

この展示を前に見返して、この4コマ風にした。最近私がよくやる作風だが、まさにぴったりだった。

10年越しに完成した。



【WHO】ネメシス

【WHAT】一回目の活動休止前ライブ

【WHEN】2013/6/24

【WHERE】GRAF

ボーカル勇人の一人目の娘が生まれるにあたって一度活動休止をした。その際の一枚。

ネメシスは、結成当初くらいから知っていた。2010年にネメシスと同世代のバンドがTWISTED GENERATION ATTACKというコンピを出して4日間のレコ発イベントを開催した。それにとても感動したのを覚えている。

ひとつ、またひとつとバンドが消えていった。人も消えていった。ネメシスが残った。

そのネメシスも活動休止すると聞いてとても悲しくなった。


「超えてゆけ」という曲の歌詞がいつもあたまの中をよぎる。



【WHO】SOWLKVE

【WHAT】たぶんDJ HiRO君のイベント

【WHEN】2014/1/24

【WHERE】KIETHFLACK

SOWLKVEは同世代のバンドだ。私が撮影する限りでこの日が最後に彼らの活動はいったん止まった。それはとても悲しかった。

しかし、2019年に大きな動きがあった。再活動することを期待してこの日の写真を展示した。

技術的な話を少し。

2014年ともなると少し自分の撮り方が固まってきたと言える。

特にこの当時はスローシンクロがはやっていた。

以前REKCS_2019の写真解説でも技法は伝えたので割愛するが、以前にくらべて躍動感が出ていると感じる。キースの照明はいろいろな光があるので好きだ。



【WHO】HYDROPHOBIA

【WHAT】"DEAD IN HORROR vol.73"

~HYDROPHOBIA 20th Anniversary~

【WHEN】2015/6/6

【WHERE】GRAF

ヒドロを撮影しだしたのは意外にも遅く、2013年くらいだったと思う。

邪悪で地獄の窯が開いたみたいな雰囲気が好きで今も撮影している。

台湾や韓国にも帯同して撮影した。これからもいろんな景色を見せてくれることを期待している。

この写真は彼らの20周年という記念すべき日のDEAD IN HORRORだった。

私が撮影したヒドロと言えば、「元祖のアレ」というのもあるが本流はライブだし彼らを伝えたかったのでライブ写真にした。

また、この写真を選んだのは来ているTシャツがHABANAだというのも意味があった。

もちろん「決して左右されない。継続は力なり」の意味を込めて20周年の舞台で着たのだと確信している。

私も継続していこう、それこそが個性なのだから


【WHO】けいた

【WHAT】修理中

【WHEN】2015/8/7

【WHERE】PUBLICSPACE 四次元

ある夏の日、所要で昼間の四次元に行ったときのこと

店長の啓太がひとりアンプを修理していた。

その姿は、かつてタイやネパールで観たものと同じだった。

エネルギーがあふれていた。


このころから特定の箇所だけ色を残す技法を用いだした。

勝手に「色の残り香」と呼んでいる。

その中でも初期のもので完成度の高いものだと思う。

今回掲載を見送ったが啓太と真白がSTAND BOPで写っている写真もその技法での写真として

とても気に入っている。いつか見せる。



【WHO】GxPx

【WHAT】質問

【WHEN】2016/8/15

【WHERE】アーリー前の駐車場

彼は悪くない。ただ着替えていただけだ。

後ろ姿の野口君は笑っていた。

これは、STAND BOPでYOUTHの宮崎君がやっているイベント”KNOWLEDGE"でTAINTED DICKMENが出演したときのもの

演奏後に機材を運んで車の陰で着替えているのを怪しまれて質問されているところ。

もちろん問題などない。

モザイクは一応かけた。本来ならかける必要はない。



【WHO】クリスさん

【WHAT】YAPOO CIRCUS フライヤー撮影

【WHEN】2016/10/10

【WHERE】小倉

小倉での新たな活動としてクリスさんと出会ったことは大きかった。それをつなげてくれたおおもとのきっかけはリリーさんだった。彼女と出会っていなかったらクリスさんとも出会えていなかった。この場をかりてお礼を言う。

YAPOO CIRCUSは、小倉を舞台に行っているイベントだ。どんなイベントかは一言で言い難いので割愛する。写真で判断してもらいたい。

その何回目かのイベント告知用に撮影をした。

今だから言うが、私はこういうロケ撮影は得意ではなかった。

ライブフォトグラファーは、目の前で行われるものを切り取る技術には長けている。

しかし、自らがセッティングして被写体にリクエストや指示を出すのは慣れていない。

今以上にこのころは自分の引き出しの少なさに絶望していた。

そんな中でも私を頼ってくれたクリスさんのおかげで今がある。それはとてもありがたい。



【WHO】カブト

【WHAT】ZIGAI レコ発ライブ

【WHEN】2017/2/19

【WHERE】ハートストリングスタジオ


今回の個展では「誰がみてもPHOTO BY HBK!とわかる写真」をテーマに選出した。

その中で真っ先に浮かんだのがこのカブトの写真だった。

カブトはこの写真の2か月後に死んだ。

死の直前に撮りに行こうと思っていたが、なかなか大分まで行く時間がなかった。

そんな言い訳を言っていたらカブトは死んでしまった。

それ以来自分の写真を大きく考えるようになった。

囚われない心、躊躇わない心、技術の手、行動力の足

とにかく写真に生きようと思った。動画をあまりしないのにはそういう理由がある。


自分は何者か


それを問われたとき、自分は写真家だと言いたいし、言われたい。



【WHO】真白

【WHAT】PORTRAIT

【WHEN】2017/4/1

【WHERE】舞鶴公園

とにかくポートレート撮影の何かをつかみたかった。

昼の撮影より夜の撮影を望んだ。それで真白(MIRABILLIS)にお願いした。

彼女は自ら「夢遊病」というテーマを持ち込んでくれた。ありがたかった。

何枚か撮った。雨の予報が出ていたのになかなか降らない。

そのうち雨が降ってきた。途端に寒くなったがなんとか撮った。



【WHO】Mojo Beatnik

【WHAT】アー写

【WHEN】2017/8/13

【WHERE】福岡市内

ある日突然変貌を遂げたMojo Beatnikとの夜の撮影は、ライブフォトグラファーになる前の本来自分が撮っている世界観はこういうものだったと再認識できた日になった。

独特な暗黒で不可解な感じ・・・

2000年頃、「Another World」というテーマで作品を作っていた。

しばらくして「My World , Your Another World」となった。

ライブフォトグラファーとして撮影しだしてから形を潜めたが、2015年に久しぶりの個展をした際は、そのテーマを翻訳して「モウヒトツノシカクセカイ」と名付けた。

2000年頃、私は週末になると道端で写真を売っていた。当時は路上でアートを売ったり見せたりする文化が根付いていた。ちょうど今のパルコ前の道端だ。当時は岩田屋だった。

この写真のように道端に布を広げて写真を並べていた。

それを思い出せて懐かしい。


場所は、福岡は天神のどまんなかで撮影した。



【WHO】エノさんとダリさん

【WHAT】絶頂天

【WHEN】2017/10/14

【WHERE】public space 四次元

なかなか北九州ハードコアの人と打ち解けることができなかった。

このころやっっと話すことができた。

ミカゲザスターにヘルプでエノさんとダリさんが出演していた。

なぜか囚人服だった。カメラを向けたら笑顔で返してくれた。

なぜか忘れられない。

今回のテーマにまさにふさわしい。

私にしか撮れない写真、誰が見ても私が撮影したとわかる写真。




【WHO】てつやくん

【WHAT】hack 10th anniversary party

【WHEN】2017/10/20

【WHERE】薬院BEAT STATION

私のトレードマークの髪型を切ってくれているテツヤくん。そのお店HACKが10周年ということでビーステで周年イベントをやったときの一枚。

Leetspeak monstersのゲストとして一曲参加したときにモンスター化

リートのメンバーがメイクさんにメイクしてもらうなか、メイク代を払っていないので自分でメイクした逸話がおもしろすぎ。

出来上がったらチャクラ開いたキョンシーという東洋妖怪なのもまた最高

参加した曲は「MASK」



【WHO】アッティ

【WHAT】ひなぎの七五三

【WHEN】2017/11/14

【WHERE】警固神社

友人であり、仕事仲間でもあるアッティの娘「陽凪」が七五三とのことで撮影をした。

70-200mmで撮影していたが、疲れたのか寝そべりだした。

母親の説得むなしくぺたんと腰をおとした。

この後いわゆる「ちゃんとした」のも撮れたが、この写真こそ自然体ですごく好きだ。





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MOUHITOTSU NO SHIKAKU SEKAI

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2コメント

  • 1000 / 1000

  • HBK! 響

    2020.01.22 11:42

    @孤高のスナップシューターありがとうございました。 必ずまたどこかで展示をします。 是非お越しください。
  • 西鉄天神福岡駅下の写真展、拝見しました。私も写真を趣味にしていますが、衝撃的な素晴らしい作品でした。有り難う御座いました。 また、展示会を開催される時は是非行きたいと存じます。